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2016.12.15 神戸日帰り出張!
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新幹線のぞみで神戸まで日帰りの出張。
博多駅から所要時間約2時間15分程度プラスのオフィスから小一時間。

往復だから移動時間だけで6時間半、ちょっと大変な旅。

まあ、座ってるだけだし、新幹線空いてるし、良い気分転換にもなる。

時間は掛かるもののギュウギュウ詰めの飛行機比べるとゆったりガラガラの新幹線の方がずっと楽だ。

今回初めてネットで格安チケット予約を使い旅費節約を計ってみた。勿論節約の為私一人の出張。
実際にどれ程安くなったのかは定かでは無いが安いのは間違いない。新幹線料金で往復以外に割引が有るとは知らなかった。

新神戸駅に午後2時に到着。其処から三ノ宮駅まで地下鉄で10分程。その後は歩いてiPhoneナビを使っての場所探し。ミーティング約束時間は午後の3時。時間はまだ充分余裕である。

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しかし周りは大きなビルばかり、メールに記されていた不親切な住所に会社の入っているビル名が表記されてない。(交換していた名刺を見るべきマイミステイク)判る訳が無いだろうとここに来て判った。(ー ー;)

目の前に信号待ちで宅急便のお兄さんが立っていた、ゴメン!○○社ってこの辺りに知らない?と尋ねたら、道一本向こうじゃない?自分のエリアはこの通りまでなのでよく知らないとの答え。

道一本向こうかぁ(ー ー;) iPhoneナビが止まった辺りで、或ビルのエントランスのテナント案内板見てたら、さっきと違った宅急便のお兄さんがやってきてテナント案内板の前に並んだ!またまたゴメンナサイ!○○社ってこの辺りに知らない?と尋ねると、親切に教えてくれたm(_ _)m!

指差して確かあのデカイビルの中にあったと思う。行って見るとあったぁ。ビンゴだ。
お兄さんありがとう。感謝!

よし、場所判ったので、近くで軽く食事して向かおうと思い、辺りを歩いて見ること10分。ちょっと立寄るような食事場所が近くにない事が判明、約束の時間まで残り30分切ったので食事は諦め、ちょっと早めに先方へ伺う事にした。

博多駅で新幹線に乗る前に新幹線構内の喫茶店でサンドイッチとカフェオレのセットを注文してたので我慢出来なくも無い状態と言い聞かせる^^;

しかし初めての場所で初めての打合せ。ギリギリまで不安は続くのだった。
○○会社の入ってるビルに到着し、約束していた担当者へ電話を入れると、電源が入っていないのでお繋ぎ出来ませんとアナウンスが流れた。(ー ー;)

しょうがないのでメールに記されていた代表の電話番号へ掛けてみると今度は、この電話番号は現在使われていませんのアナウンスが流れて来た。(ー ー;)(貰った名刺を見ず携帯で見れるメールに記された番号に頼ってしまった、よく解らない)

なに!?(・_・;?ここまで来てそりゃ無いだろう!まさかと思いつつ。一呼吸置いて冷静になって見る。ビルの警備員さんに聞いてみるか、と思ったが、その前に再度担当者の電話番号へ掛けて見ると今度は繋がった。ホッ!

そうして長旅の末辿り着いた○○社さんでのミーティングはスタートした。
対応してくれたのは事業部の副部長さんにマネージャーさんと担当者のKさんの3人。歓迎ムードの中、とても良い感じで打合せは進んだ。彼らも初めての試みらしく、最初は慎重ムードもあったものの是非是非取組んでみたい案件だと意欲的な回答を頂いた。と言うことで、企画はスタートする事で決定した。

帰りは、3人揃ってエレベーター口まで見送って頂いた。ありがとうございました、どうぞ今後ともよろしくお願いします。とても良い終わり方。がしかし(ー ー;)1階まで降りた所で携帯電話を打合せテーブルに置きわすれた事に気が付いた。直ぐに打合せした場所へとの戻ったら、既に誰も居ない。携帯電話も無い。

気が付いたKさんがエレベーターを降りて追ってくれた様子、エレベーターでの行き違いはあったものの、ホールまで持って来て頂き、二度目のご挨拶でお別れした。最後までご迷惑お掛けしてしまったが、それでも今後の展開は楽しみである。

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2016.04.10 田舎町から世界を動かすものづくりデザインの力!No2
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前回掲載した作文コンテストの続き。
やっと全ての書類を揃え申請書ファイル6部とデータ収録CDを梱包し遂に送付終了した。締切4日前だ。

申請書の様式1は表紙で申請者の記名と印鑑を押すだけ。問題は次の様式2、事業計画書。ここに事業のタイトルと内容を記入する訳だが、
具体的な取組内容を記入するその1の枠、どのように展開するかのその2の枠がある。
書式の枠は小さいものの、そこにはには最低でもA4サイズ10ページ以上の内容を入込むのだそうだ。

以前にこの補助金申請の為の講習会が開催されていたものの、自分は行けなく事務の娘に書類だけ取ってきて貰うつもりで身代り参加して頂いていた。でも自分で聴いていないと全く解らないのが本音。

今まで文書くときは、伝えたい事を如何に短く的確に表現する。それが上手い文書だと信じていた。
そのように自社の紹介とこれから行うとする事業計画書を端的に纏め、申請書に記入し意気揚々と支援窓口へと向ったが「これでは絶対採択されないですよ!」保証しますとまで言われてしまい意気消沈したのである。

このものづくり補助金申請書では写真を入れ、具体的なデータを取込み、表やグラフを駆使し、難しい専門用語は使わず、一般の人が見て解り易いよう、飽きずに最後まで読んで貰うように申請書全体を作り上げるのがコツなのだそうだ。

パワーポイントでプレゼンを行うのと一緒。流れるようにストーリーを作り上げる。沢山の申請書の中から、この申請書を見た人がこれを応援したいと思うように支援を勝取る為の、所謂プレゼンコンペティションなのである。

支援窓口でのこんなアドバイスで心に火がついた。

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事業中身が良いと思っているのに表現法が悪いと言う理由で駄目だと言うのは最悪。
素材を活かしきれない駄目料理人にならないよう己のプレゼン技量を試されるのだ。
支援窓口の経営診断士の人達は、どうしようもない内容の事業計画を魅力的に表現するプロフェッショナル。
彼等が全力で取組んだ申請書に負ける訳いかないのである。

そして本気モードの申請書の中身、作文コンテストであるプレゼン作成を概ね3日で作り上げた。

次回へと続く^^;

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2016.04.09 田舎町から世界を動かすものづくりデザインの力!No1
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ものづくり補助作文コンテスト!このタイトルを付けるとするとこんな感じ。

しかしこのタイトルは文の中には一切出てこない。

申請書作文も完成しいよいよ発送の時。やっとここまで辿り着いたので、シリーズで書き下ろしてみることにする。

考えてみると先月半頃からのトライで、相談したいと申出た支援担当者からは今から申請書作成は難しいと言われ、多くの人達は昨年から準備されているのにと一喝された。

その障壁となるのは、認定支援機関からの認定証と、会社の二期分の決算書が必要だという事でそれに基づき経営計画を作成する事になるからである。そのうち認定支援機関に認定証を貰うのに2週間時間が掛るらしい。

締切まで一月切っているので、10日以内に申請書を作り上げる事が必須条件。
しかし申請書作成の前にこれら二つの障壁を越える解決策を模索する事が課題だ。

ネットで認定支援機関を検索すると、当社が経理事務を委託している会計事務所がリストに載っていた。
良かった!と勝手に安堵し、会計事務所の所長さんに電話。
すると即答で、うちでは協力出来ませんとあっさり断られてしまった。

年度末でそんな暇無いとの理由。一番近くにいる人に断られたのだ。
そんなショッキングな体験を伴う事からこの申請書作りはスタートする。

認定支援機関を何処にするか、検索した認定支援機関一覧表をプリントして依頼できそうなところを探すと、お世話になっている地方銀行が出てきた。窓口の営業マンが良く来てくれるので早速電話して聞いてみると、会計事務所とは対照的に軽い乗りで良いですよ、との返事。一週間あれば大丈夫ですよとの返事。

残る障壁は決算書。
会計事務所の所長はとても感じ悪い人、その反面担当者はとても優秀で良い人なのだ。月に一度来てくれるその優秀な担当者には連絡が付き、今月末までになんとか間に合わせてくれるとの約束を取り付けた。
ここ迄ものづくり補助の支援窓口、銀行、そして会計事務所の担当者さんを巻き込んでしまった以上、きっちりと申請書を作成する責任がある。
補助支援の窓口からは電話で、ストーリーを作り応募要項内容を確認しながら作成する事を言われ、一週間先、窓口に予約を入れて申請書作成がスタートした。

作文の影のタイトルは「田舎町から世界を動かすものづくりデザインの力!」次回へ続く^^;
2016.03.10 ペットと暮らす事!
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ペットと暮らす

先日、15歳で亡くなったミニチュアダックス、キャンディの法要を行った。
一体その存在は何だったのだろうと改めて考えさせられた!

キャンディは言葉を話さない。
生後3ヶ月位でうちに来た。小さくて健康面が気にかかった。
比較的身体が弱かったようで、何も言わないが
夜中に獣医さんの元へ走る事は幾度もあった。
アレルギー体質のようだったので、市販の食べ物でなく、
鶏肉を買って来て毎食調理をしていた時期もあった。

知らないうちにこちら側が凄く気に掛ける存在となっていた。
気がつくと家の中でキャンディは一番偉い特別な存在。女王様である。
可愛いので甘やかし放題。

飼い始めて3年過ぎた頃、吠える!トイレは何処でもし放題!
それでも性格は温厚なだったので人を噛むような事はなかったが、あまりの身勝手さ
が目にあまり、
評判の良いドックスクールを探し、通うようになった!

意外にもドックスクールで教育されるのは、犬では無く飼い主の方だった。
ダメ飼い主だったので生きるための規律を教える事ができなかったのだ。

思い起こせば、キャンディに多くの事を教えられた!
言葉は話さないが空気を読むのは優れている。
疲れて相手できない時は、向こうから寄り添ってくれる。
何も言わず隣で一緒に蹲って居るだけ、それが愛おしくてたまらない。

そんな生活は永遠に変わらないものと錯覚していた!
彼女には私達よりもっと短い限られた人生しか与えられていなかった。
まさかこんなに早く別れが来るとは!

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実はこのエッセイは随分前に書いていたもので
アップする迄随分時間が掛かってしまった。
2016.01.05 新しい年の幕開け!
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仕事始めの日、良い年になりそうな慌しい1日だった。

オフィスの役員ワンコも朝から落着かない様子。

昨年から予定していた事でもあるがオフィスの転機となるような素敵な出逢いもあった。

また今年は数年ぶりに新しい優秀なスタッフも入ってくる。

この年になってもワクワクしながら楽しみな仕事(殆ど趣味の領域に近い)で一杯な一年の始めがスタートした。

実は昨年秋、実施直前で思いがけず凍結してしまった大きなプロジェクトがあった。
そのすぐ後に迎えたシルバーウイークの連休期間中、その衝撃と危機感から逃れようと、無心となり或るプロダクトデザインに取組んだ。そして数十個の五分の一プロダクトモデルを一気に作りあげた。

連休が終わりプロダクトについて多くの人に相談し協力頂き、現寸大モデルを幾つも作りアレンジを繰返す内に一つのストーリーが現れ一筋の光が見えてきた。そこから、ある法則が見えてきた。

それはその時携わっていた工事監理のクライアントである社会福祉法人の理事長から「こんな物があったら良いのに」と言われ、それに応えようと取組んだものでもある。

その後、地域支援センターの知財保護課に駆け込み、相談し協力頂いた事で自力でプロダクトの意匠登録までこぎつけた。
支援センターから派遣して頂いた弁理士の先生から、これは特許となり得ると太鼓判押され、現在特許も出願中だ。

今年度後半に取組むべきプロジェクトの、契約寸前での凍結というどうしようも無いピンチに追い込まれ、休めない筈の連休にポッカリと時間ができてしまった。そんな危機的状況から脱する為、朝から夜遅くまで孤軍奮闘で取組んだ素材と形が、もしかしたら世界を変えるかも知れない程の可能性を持ち、そんな事が今年、実現するかも知れない。

昨年秋のプロジェクト凍結危機によるオフィスへの影響はとても大きかったが、それも昨年末のプロポーザルで新しく決まったプロジェクトにより危機も解消され一安心したばかりでもある。
毎年、毎回プロジェクトの動向次第でハラハラドキドキさせられるオフィス運営。そこから解放される年になれば幸いである。

新年が皆様にとっても良い年になるように!と祈り新しい年は始まった。

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2015.12.30 大衆食堂で神業を観る!
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先日の事。福岡へ出掛ける用事があり、少し早めにオフィスを出た。打合せ場所すぐ近くの食堂、有名な繁盛店でスタッフのS君と食事を済ませることにした。

丁度お昼過ぎ、年末も重なりとても混雑している。
順番待ちの行列最後部は、店の玄関から遥か手前の駐車場中程でおおよそ一時間15分待ち。
それでも約束の時間にはギリギリ間に合いそうなので辛抱して並ぶ事にした。

決まったメニューしかなく客の回転は速い店、それでも一時間位でやっと店の中に入れ、それから20分程、座って待つ事になった。ただ待っているのも暇なので、店の中の店員さん達の動きを観察してみた。

店の中で順番を待つ行列は、入り口手前の方から30メートル程の奥の方まで窓側に設けられた長椅子にびっしり座って待つ状態。長椅子の間に2カ所、セルフの給茶器が設置され、待合長椅子の一番先に隣接して出口がある。食事をするスペースは待合長椅子前の通路を介して設置された店舗内をぐるりと回るカウンター席である。

一番奥のカウンターだけが独立した島になっていて、その中にこの店では一番年配と見える人、多分このお店の大将と思しき人がいて、オープン調理台に立てられたステンレス隔の内側で調理を作っている。

大将は彼の周りのカウンターに座る20人近いお客さんの注文を確認しながらテキパキと一人で調理を行い盛付け配膳担当の女性へと渡す。

店の席数は全部で60席ぐらいは有るだろうか。
1時間に4交代以上は有りそうだから、少なく見てもお昼の時間帯で600人。
客単価は安く庶民の味方の店なので800円強。するとざっとお昼だけで50万程の売上。
年2億の売上げかぁ!勝手にどうでもいいアホな皮算用する。

大将は複数のお客さんへの調理をしながら同時にカウンターの空きを確認している。最前列で待っているお客さんに「何名様ですか?四人以上の場合は御一緒が宜しいですか?」と声をかけ、数を確認しながら、帰るお客さんには「ありがとうございました!」と声をかけておられる。店の奥行き30メートル程の一番手前に三席の空きが出た。そして中央に二人の席、空き席は同時にバラバラの場所で発生していく。

店内のスタッフさん達にはピリピリした緊張感が走り、多勢のお客さん達の話し声でザワザワした店内の雑音を飛び越えるように「三名でお待ちのお客さま手前の方へどうぞ!」と通った声と一緒に手を上げて案内される。

と言いながら大将の上がった手は直ぐに調理台の方へ戻り、注文された具材を一つずつ丁寧に調理する様子が見て取れる。
注文の種類と数を瞬時に把握し確実に調理している彼の目は一瞬、気配を感じるフロアの方へ動き「ありがとうございました!」の声と共に空き席を確認。奥のカウンター前のスタッフから3つの席が空いたサインの三本の指が挙がるのを見逃さない。

大将の注意力は、複数の注文された料理を確実にこなし、食事が終わり立上がるお客さんの気配を感じ、待ちのお客さんの数を確認しながら誘導し、帰るお客さんには声を掛けている。スタッフの動きにも注意を払っている。全く隙のない動きにはとても余裕がありスローに感じられる程である。

そんな風に店内で待つ人60人、食事している人60人、スタッフは10名ほど、それら全ての要求を捌く大将の采配はまさに神業。

大将の集中力に見て取れるよう、ここの料理はリーズナブルでありながらクオリティが保たれ洗練されている。それと同様、店の隅々までゴミ一つ無く清潔感が保たれてる。少数のスタッフの無駄の無い動きも見て取れる。こんなに多勢の客で溢れかえっているのにである。

何の仕事も一緒。誰かが全体を把握し采配、そして隅々まで注意を払う集中力が無いと良い仕事は提供できないよなぁ!と思い知らされた。
あの大将、絶対人数を聴いた客の顔、殆ど覚えているに違いない。
何時も見るお客さんには「何時もありがとうございます!」と声をかけるのだろう。


2015.11.11 阿佐ヶ谷ジャズバー訪問記3
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これも翌朝の阿佐ヶ谷商店街

この店のマスターはさっぱりとした、スリムで背が高く姿勢の良いスポーツマンタイプ。歳は40半ば位だろうか。旅行が趣味のようで、日本全国、行った事のない県は無いそうだ。今年、島根県や鳥取県を旅行して全国制覇したと自慢気に言っていた。

「九州は何方から?」と尋ねてくるので「佐賀なんですがご存知ですか?」と答えた。呼子のイカや有田、伊万里の焼物を知ってるらしく、「へぇー、よくご存知ですね!」って笑顔で答えた。そうか!佐賀で有名なのは端の方ばかりなんだ!ちょっとバーボンロックが回ってきたようだ。

しかしながら、仮に佐賀の殿様、鍋島直正候が幕末、江戸幕府から依頼され大砲50門を築造、それの一部が東京の御台場に備えられたとか、東洋の天才発明家カラクリ儀右衛門を佐賀に呼んで、日本で初めての無線装置や電信機の研究、そして蒸気機関などを利用した鉄道模型や蒸気船など実際に造り、明治日本の産業革命に関わる礎を築いたとか、イギリス製アームストロング砲の暴発を防ぐ為、クランク式後込砲弾充填装置からワンタッチ型のバネット式充填装置への改良に成功していた!などなど、幕末時は日本一近代的な研究都市だった事など、世に殆ど知られていない佐賀の史実を語られたら、たまったものでは無い。これは、佐賀に住んでる私達の研究課題なのだから‥‥。

お酒が一気に不味くなると困るので、そんな話は此処では絶対しない。「マスターは音楽されるの?」と訊いてみた。「気が向いたら弾語りのような事も時々やりますよ!」らしい。そんな話をしてたら常連の年配のお客さんが、「明日は場外馬券場に行かなくちゃなんないし、帰って馬券予測あるからこれで」とマスターに向かって言った。前回は惜しい所で外したような事も話していたので、「少し呑んで予想した方が当たる確率上がりますよ!」なんて、声を掛けてみた。

そう、この時気が付いたら、美人バーテンダーさんは既にお帰りになられたようで、店内にはご年配の常連客と明日からジャズピアノ教室に通うスーツの青年と私とマスターの男ばかり4人になっていた。

そして年配の常連客が帰り、明日からジャズピアノ練習の青年もお勘定とマスターに向かって言う。時間は丁度11:30。ジャズバー・スタッカートの閉店時間である。
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最上階!夜、山積みのボトルがハロゲンスポット光源で所々ギラッとクールに光る。


「マスター此処は大体時間どうりに終わるんですか?」訊ねると、まだ良いですよ〜。
と答えてくれたが、初めての客が一人居座ってると思われても居心地悪いので、明日からジャズピアノ教室青年と一緒に帰る事にした。

「さっき話してたけど明日から習い始めるのに12月に発表会あるんですね!」って青年に訊きながらエレベーターに一緒に乗った。エレベーターの向こうではマスターが見送ってくれている。

「発表会とか緊張する場所に出て演奏しないと上手くならないですから良い経験になると思います。」本当その通りである。そしてエレベーターから通りに出ると、左は阿佐ヶ谷駅。右は商店街で私の戻るのはその奥。ここで別れてホテルヘ戻った!

さがから、あっ!さが、や!の阿佐ヶ谷ジャズバー訪問記のおしまい!

考えてみたら、ほんの1時間位の訪問記。3日連続で3話も続けてしまい、日にち置かずに続けたので心地よいオチにはならなかった(ー ー;)

END

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2015.11.10 阿佐ヶ谷ジャズバー訪問記2
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阿佐ヶ谷駅前のお世話になったホテルについて少し書き留めておく。

上の写真は翌朝撮ったもの。言い訳になるが、多くの人で賑わってる金曜の夜の街を撮影するのも気が引けたので、宴の後、人のいない寂しい朝の商店街を記録に残した。この商店街奥の方に阿佐ヶ谷スマイルホテルは在る。

ジャズバーのマスター(後から登場する)に聞いたら、人気が有るホテルでなかなか泊まれないらしい。近くに大手企業の本部が有るようで、その企業が宿泊室の殆どを抑える時もあって余計に予約が難しいようだ。

宿泊したのは最上階5階の部屋。部屋に入ると、ちょっとした振動と共にゴーっという音が聞こえる。エレベーターの真横だったか?そんな間取のホテルは無いだろう!と思ってたら直ぐにまたゴーって音がする。ウッ、これは総武線の電車の音だ!そう、このホテルは駅のホームとダイレクトに隣接していた!

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これは翌朝部屋の窓を開け撮影したもの。そのまま阿佐ヶ谷駅ホームのダイレクトショットである。ホーム自体高架になっているので、ホテルの部屋からホームが同じ目線で見える。

今晩の外出着は授賞式と同じスーツにネクタイ!
と言うのも、飛行機の中で知人に紹介されてた「フランス人は10着の服しか持たない」と言う本を読んでた影響もある。フランス貴族階級の家にホームステイしたアメリカ育ちのお嬢さんが受けたカルチャーショックのお話で、本の中には、寛いでいる時にも身なりを正し、好きな服、高級な服を特別な時でなく、普段TPOに合わせ普通に着ている。そんなフランス貴族の格式高い生活文化の事が延々と書かれていた。格式高く、物に惑わされない無駄のない暮らし術が必要だと言った内容。それに、ちょっと影響されて、着替えずそのままスーツとネクタイ姿での外出とした。私の場合、普段ではあり得ない服装だ。

「ここは初めてですね!」とカウンターの女性バーテンダーさんに聞かれた。「場違いなのが来た!」と思われたかも知れないが気持ちは座っていたので、九州からのお登りさんだと白状した。「此処のお店は古くからやってんの?」と訊くとマスターが2年前にオープンしたらしく、しかも音楽関係者ではなく医者だったらしい。一念発起して好きなお店を開業したのだと言う。ジャズストリートにあるジャズバーなのだからきっとオーナーはデープなジャズ関係者に違いないと思い込んでいた。

そんな浅はかな予想は次々に裏切られ、2杯目のバーボンロックを注文する頃。2人組みの女性客は電車の関係でそろそろ会計をとカウンターに向かって言った。すぐに、そんな安くて良いの?と驚いた声が聞こえる。「うちはチャージ取らないから皆さんビックリされるんです!しかもビールだし。」女性バーテンダーさんはこちらに向かって笑って答えた。

残った男性客もスーツにネクタイ姿、30代前半だろう。彼は明日からジャズピアノを習いに行くらしい。小さい時7年間程クラシックピアノを習っていて、その後全く弾いてなく最近になってジャズピアノを弾きたくなったと言う。

2人組女性客が店を出たのと入れ替わりに、親子程年の離れた男性2人が店に入って来た。その内の若い方ががここのマスターらしい。70代後半のちょっと派手目なベージュのブレザーを着た方は、このお店の常連らしくマスターと共に浅草まで食事に出掛けていたようだ。

マスターは残念な事に、美人女性バーテンダーさんと入れ替わりでカウンターの中へ。入って来るなりこちらに向かって「お客さん、ここは初めてですね?」全く同じ事聞かれた。どうも一目瞭然で判るらしい。

「実は九州からで、こちらの方で賞をくれると言うから今朝の飛行機で上京し、明日帰る予定なんです。ジャズが好きなものだから此処に寄ってみたんです。」マスターは「初めてのお客さんに聞くようにしてるんですが、後学の為ここに来られた切っ掛けを教え願えますか?」と聞いて来た。
「すぐそこのホテルだったので、ジャズが好きで、ジャズバー、ピアノで検索したら最初に現れたんです!」

つづく!(話は続くけど、心地良い落ちが見つからないのでちょっと時間を置く事に)

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2015.11.08 阿佐ヶ谷ジャズバー訪問記1
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この日は阿佐ヶ谷駅そばのスマイルホテルに宿泊。
全国建築コンクリートブロック協会授賞式と懇親会を終えホテルに到着したのは夜21時近く。メールチェックやコンペ顛末記など書いていたらすでに22時を回っていた。

翌朝、叔父と会う約束をしてたので、この日はこのまま寝ようかとも思ったが、折角此処まで来たのだ。チョット阿佐ヶ谷駅周辺を徘徊する事にした。

阿佐ヶ谷と言えば「阿佐谷ジャズストリート」と言う有名なジャズ祭 が毎年行われる街。今年は10月後半の土日で開催されたようで、私にとっては東京ジャズストリートの代表みたいな音楽の街、割と知的格調ある庶民文化の街そんなイメージだ。

イメージだけで阿佐ヶ谷の街については殆ど知らない。しかもジャズストリートの街を狙って阿佐ヶ谷スマイルホテルを予約したのでは無い。じゃらんホームページからの格安チケットで、たまたま航空券とセットで辿り着いたホテルの内、幾つかの候補の中に入ってた訳で阿佐ヶ谷スマイルホテルって面白そうじゃんとそんな乗りで予約してた。

その阿佐ヶ谷駅近くでジャズバーを探したら直ぐに出てきたのがスタッカートと言う小洒落たお店。早速行ってみる事にした。とは言っても酒の弱い私にとって、これはこれでなかなか勇気の要る事。ネットに上がってる写真では見るからにジャズ好きな常連でないと入りにくそうな高級感のあるショットバーである。

阿佐ヶ谷駅前はちょっと歩いただけでも楽しそうな街で、オープンカフェやダイニングバー、路上まで人が溢れている立飲み屋、ショットバーなど、とてもリーズナブルで面白そうな店が群をなしている賑わいの有る街だ!

ホテルのカウンターに鍵を預け、歩いて駅の方に向うとそのジャズバーは直ぐに解った。6階建のビル最上階にそれらしいボトルが山積みされ、その山積みされたボトルがハロゲンスポット系光源で所々ギラッとクールに光っている。

小さいビルの狭い階段奥エレベーターに乗り最上階の6階へ着くと、そこにはこの店一件だけ。中を覗くと常連さんと思わしきお客さんがカウンターに三人。入口付近にある幾つものボックス席は全て空いていた。金曜日の夜なのに店は意外にも空いている。一瞬帰ろうか!とも思ったが、此処まで来たからにはと、勇気を出して店の奥へと踏み込んだ。窓側の奥のカウンターに場所を取りバーボン酒バランタインをロックで注文。

私が入る前、私の座った場所に居たのが有名小説家さんらしく、男性一人と女性二人の常連さん達の話題はその事で盛り上がっていた。男性と二人組みの常連さんは席一つ空けて座られてたので別に来られてるというのは直ぐにわかった。

カウンターには細っそりした品の有る見るからに優しそうで綺麗な女性バーテンダーさんが一人で切盛りされていた。髭の濃いジャズ好きで、ちょいワル系の親爺がカウンター中に居る店なのだろうと勝手に思い込んでたので意外だった。阿佐ヶ谷に住んでたら毎日通いたくなる店じゃんと思う^^;
ここはバーなのに店内禁煙らしく、11:00オーダーストップで11:30までとあり、長く居ても一時間か!それまで黙ってゆっくり呑んで行くかと決心した。

^^; 気が向いたらその内、続きアップします!

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2015.11.07 コンペ授賞式に出てみた!その二。
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授賞式は午後4時40分から、それ迄会場では、午後2時から協会主催の講演会が開かれる予定になっている。
福岡空港を11時のJALで出発、真っ直ぐ会場の有るお茶の水駅へ向い、会場に到着したのは午後2時少し回った頃。授賞式には早い時間とは思いながらも講演会も聴いてみようと受付のある方へ向かった。

受付には品格あるスーツ姿の白髪女性が一人テーブルの前に座っておられ、名前告げると「今始まったばかりなのでちょっと待って下さい」と一枚の名刺を渡された。
福岡から参加されているブロック協会の会社で、エクステリア建材を扱われている社長さまの名刺。受賞の電話連絡受けた2日後位に営業の方が私のオフィスに来てくれていた。有難くも受付に私が来たらと言付けをされていたようだ。
その時、丁度会場の扉が開き、名刺の社長さまが受付に出て来られそこで名刺交換を行った。お祝いの言葉を頂き、直ぐ用事が有るのでと会場を慌てるように社長さまは去って行かれた。

会場では大分大学、菊池教授の講演が始まっていて関係者の方に席まで誘導して頂いた。私の席は入口から1番奥の前から二番目。席には大きく名前が表示して有り、胸に付ける赤いリボンと大きな紙袋が置いてあった。

講演が終わり、こちらに向かって来る人がいた。吉田さんだ!私が昔、ブロック建築をするきっかけを頂いた唐津ブロック協会の吉田さん。
まさか!今回のコンペ主催者全国コンクリートブロック協会と、吉田さん達が所属されている型枠ブロックのメンソーリー協会と一緒だったという事が、この時に初めて私の中で繋がった。

実は、協会の九州支部総会で数年前、吉田さん達の計らいにより福岡市内のホテルに基調講演の講師として呼ばれた事があった。彼らも何度か、うちのオフィス梅の間に見学に来られていたのだ!今回、選んでくれた彼らも私も、この時まで全く気が付いて無かったのである。吉田さんも今回受賞者の名前を見て若しかしてと思ってくれてたようだ。

吉田さんは「今回の受賞者は誰一人ブロック建築を造った事の無い人ばかりですよ」と教えてくれた。そう言えば他の入賞作品は全て外構工事とブロック建物を組合せたもので、エクステリア部材を含めた提案こそ要項に無いこのコンペの趣旨である事が改めて理解できた。

協会を構成している会社は皆さん、エクステリアを主に扱っている建材屋さんなのである。394件の応募があったというのに建築事務所からの入賞って私と三重県から来ていたタカセさんの2人だけだったと後からわかった。

吉田さんは私が九州でブロック建築を実際に建てている事を主催者側に伝えて来ます言い残し、後で、と硬く握手を交わし別れた。そして直ぐに授賞式は始まった。

受賞者は最優秀賞と優秀賞で4人、入賞者が10名、14名のうち欠席者2名で、私は最後から2番目に呼ばれ、久し振りに有難い表書状と名前入りの記念の盾を頂いた。
この名前入木製盾は裏板がT字に出っ張て畳めない、椅子の上に置いてあった紙袋の大きかった理由に納得するが、この盾の入った大きな紙袋はこれからずっとオフィスに帰り着くまでつきまとう運命となる。

表彰式の最後にご挨拶されたのは当コンペの審査員長を務められた小山工業高校の建築学科の先生。特に今回は女性の受賞者が多かった事、これが今の世相を表しているような事を述べられた。

そして私の自業自得による大問題が発生!受付で名刺交換した時、自分の名刺が殆ど入っていない事に気がついていた。これはビジネスマンとしては失格である。NPOの名刺が6枚に本業の名刺が3枚しか無い!何しに此処まで来たのと自問自答する事になるが後の祭り。

表彰式が終わって懇親会へと突入。吉田さんは有難い事に精力的に主催者幹部の皆さんへ私の事を紹介してくれたが、もう名刺の無い私はNPOの名刺を渡すことに!普段であればオフィスの名刺よりこちらの名刺の方が受けが良かったりするが、今回は違う!その度に何のために此処まで来たのと落胆する。吉田さんにご紹介頂いた数人の方に、あんたの案が一番良いじゃんと言って頂いた。何とか実現したいねと言う言葉まで、お世辞かも知れないがとても嬉しかった。

と言いながらも「今回のブロック造によるプロトタイプのスモールアトリエをセルフビルドキットとして売り出したら面白くないですか?」とブロック建築に取組みたいと言われていた幹部の方にはこちらから言ってしまった。
構造計算を行い、基礎耐力はオプションとして売出してもそれ程高額にはなりませんよ!と言う具合にしっかり営業も忘れなかった。

それともう一つ、ブロック造の建物を普及させる為には、「私の好きなブロックの有る風景」と言った写真コンテストを一般募集されたら面白いですよと勧めた。これはNPOの地域興しイベントで、地域の好きな風景を地域の人がみんなで探し歩いてみる、そんな仕掛けとして何度か行った経験から来るアイデアだ。そうすれば協会のカレンダー作りの苦労も軽減されるし、一般の人達がブロックに興味を持って頂くのに一番効果的で早道である事も添えた。

他の受賞者と話をする機会は無かったので、懇親会も終わった頃ようやく受賞者の溜まっている席へ行き、少しだけお話しする事が叶った。残念ながらその時には名刺はゼロ、首から下げていた名刺ホルダー内のNPO名刺までも無い始末である。
名刺が無くなった失礼のお詫びと、御礼を兼ねてオフィスのパンフと今回の作品画像と名刺にコメントを添え、お会いできた方々へ礼状を出す事にした!

これでコンペ授賞式報告は終わり。
その日の宿泊は、阿佐谷ジャズストリートで有名な阿佐ヶ谷駅前。阿佐ヶ谷ジャズバー訪問記へと気が向いたら続く。

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2015.11.06 コンペ授賞式に出席してみた^^;
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会場はお茶の水のホテル、写真左の建物。

全国コンクリートブロック協会主催コンペ。受賞の電話を頂き「授賞式行ってみようかな」と思ったが、中々決心がつかないので動く心を抑える為、翌日の夜中、取り敢えずジャランHPを使い、当日の宿と飛行機を予約してしまっていた。
オフィスのみんなは、本当に行くの?と言った具合。誰もオメデトウとは言ってくれない。この歳になってコンペも無いだろうに、しかも入賞ですかぁ!という感じかな。絶対にそんな事はない。多勢の(394件の応募があったらしい)の中から選ばれたのだからとても有難いことである。

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提出していたものは、コンクリートブロック、プロトタイプの大人の遊び場。屋外遊具みたいなもので、1階に趣味部屋の小さなアトリエがあり、その屋上が屋外のカフェスペースになっている。玄関横に設置した鉄骨の剥き出し階段が、このコンクリートブロック造の重厚な建物に軽快感を出してくれ、思わず上へと行ってみたくなる雰囲気を醸し出す。
高さは1.5階程度で威圧感を与えない大きさ。アトリエの前にはベンチが備えられ、この建物外部は、外観を背景としたコミュニティ空間形成を意識する。
軽快な剥き出し鉄骨屋外階段の下には以前、私が乗っていた黄色のロードタイプバイクを置いた。このバイクは特注で私の身体のサイズに合わせ特注したもの。現在殆ど使っていないが、CGには時々登場している。
これらは実際に出来ていないので全てCG画像で創りあげるイメージの話。

CGは、所詮二次元画像でしか無いが便利なツール。もう30年程以前からこのツールを使って業務ではイメージを創り上げてきた。

今回受賞した作品は、小さなこのアトリエで心行くまで大好きな作業に専念し、気分転換に周辺地域を自転車で回り、新鮮な風を感じて帰り、また此処に戻り好きな作業を再開する。仕事や子育て、煩わしかった家事や介護から解放された、いわゆる臨終期と呼ばれる元気なご年配の誇り高き人達に捧げる。残りの人生を楽しく、充実し尽くして終える為のご褒美の空間なのである。狭い敷地でありながらも緩いアール壁の話題性のある外観で、みんなが集まった時には自慢できる大人の基地である。

20151106204252fac.jpg うちのオフィス梅の間

コンクリートブロック造の特徴は、木製型枠を使わない自然に優しい構造。とても表情があり、緩いカーブに沿って馬目地に積み上げれば、上段と下段に凹凸が生まれ、上からの光で影ができるその表情がとても面白い。

RCBというブロック造でこれまで幾つかの建物を造ってきた。
ブロック造で建物を計画する場合にはとても大切な私なりのルールがある。モジュールは全て、400×200で決定されるので意匠的に重要なのは、小さな窓は作らない事。ブロック2〜3枚分の窓など造ってしまうと忽ち物置き的外観となってしまう。
煉瓦であれば210×60x100程度。煉瓦やタイル張りと同じの感覚で開口部を設けてしまうと、とてもチマチマしたチープな外観になる。ブロックのモジュールに負けないような、大柄の壁面を意識した大きな開口部で無けりゃバランスは保てない。

授賞式、遥々と折角行くからには、何か他にも収穫があればと思っている。
これだから年配者の入賞は敬遠されがちなのだろう(ー ー;)我ながら納得。
という事で授賞式に臨んで来る事にした。

行って見たら意外な展開へと‥‥^^;つづく!
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2015.11.01 緊急レポート、杭工事データ改ざんとは!
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旭化成建材の杭工事データ改ざんが世間を騒がす大きな話題となった。
杭工事で使う杭の事を業界では一般的にパイルと呼んでいる。

■日本国土の殆どが軟弱地盤
基礎工事前に地盤を補強する杭工事は、日本国土の地盤では粗80パーセントの割合でその対策が必要と言われる。それ位に日本の地盤は良くない。

■杭の占める割合
杭工事の建築工事に占める割合は大きく、鉄筋コンクリート造の場合、コンクリート工事や鉄筋工事、型枠工事と同等程度の費用負担となる場合が一般的で、工事費全体の1割前後を占める位のとても大きな工事費目なのである。

その為、工事費の削減を検討する際、杭打ちの方法や材料選定はとても大きな要素で、パイル業界は何時も工事を請負う建設会社からコスト削減の第一の標的となる。

■杭工法の変遷
その工法では、現在世間で騒がれているように、セメントミルク工法と言われるセメントを支持層に注入し差し込んだ杭に絡ませ地盤から支持を取る工法がある。

昔は、打撃工法と言って杭は地面に叩き込み、その反力を目視で確認しながら打設するのが常識だったが、周辺地域から打撃にによる騒音、振動、そして飛び散る油などによる様々な補償が求められる時代となった。

振動、騒音による家屋補償は、工事期間中のホテル代や、タクシー代からクリーニング代に至るまで要求されるようになり、杭打工事工法はそのクレーム対策によって時代と共に目まぐるしく変化してきた。

支持層の強さを目視で確認できた打撃工法は、デーゼルハンマーによる直打工法から、騒音の比較的出ない油圧ハンマーによる打撃工法へ変わり、現在最も多く採用されるセメントミルクによる注入工法へと至る。

ボーリング調査にて予め支持地盤の深さを確認した上で支持層の手前までオーガーで杭径とほぼ同じ大きさの穴を掘り、杭を納めて、セメントを注入していく工法がセメントミルク工法。

いわゆる無振動無騒音工法で、杭工事が行われているか周辺では判らない工法で、現在ではこれが標準工法となった。

■設備投資と時代の変化
パイル業界が大変なのは、工法が変わる度に杭打ちのための大掛かりな装置、いわゆるプラントへの膨大な設備投資が必要になる事にある。杭打機自体もセット当り億に近い設備投資なのに、次々に新しい工法が現れ、昔のデーゼルハンマーや油圧ハンマーの打設機は国内では使えなくなってしまった。それらの打撃工法の機械は、現在その殆どが東南アジア諸国で活躍しているようだ。

バブル時代、パイル業界はとても華やかで、派手な接待付きの営業展開が普通にされる、とても美味しい業界であった。それも今では遠い昔の話。

かつて三桁は裕にあったパイルメーカー、今では最盛期の十分の一程に淘汰されてしまっている。現在では、建設会社が工事を受注しても、杭打ち機械が見つからないとか、パイルの材料がどこにもなく制作期間90日待ちの状況とかザラで、杭工事をやって頂ける所をこちらから探し求めるという時代なのだ。

だから今回の事態が建築業界に与える衝撃は大きく、遂には担い手が居なくなってしまうのではないかと危惧する。

■問題の根源
さて、担当者によるデータ改ざんと言う問題。私達が普段介在している建築工事に於いてはとても考え難い事態なのである。

と言うのも彼等、杭の施工管理者にとって工事金額が上がろうが、所詮関係のない立場の人達。彼等は実際に工事出来高によって請求を上げてくるので、当然パイル事態が支持層まで達していない事が判ると支持層まで達するのに、例えば1.5mパイル長さが増えますよと普通は言ってくる。

施工管理者は支持層まで達してない事が解ってそこで止めるわけいかないと言う立場で工事費は数千万増加になりましたと普通であれば平気で、しかも笑顔で言ってくるのだ。私たちの周りの杭の施工管理者ってお金の事など気にしない、ぽっちゃり型の愛敬のある人達が多い。但し大手メーカーの人はよく知らない!

このパイルの長さを決定するのは、杭打ち工事の最初に試験杭と言って規模に応じ、工事場所全体からバランスよく抽出した数カ所を試験的に支持層まで掘って最終パイル長を決めるのが通例。これは建築工事特記仕様書で、その箇所数と長さを記載するように決まっている。

施工管理者さんにしてみれば、支持層に達する迄打ち込むのが使命なので、工事費が増えようが普通は彼等には関係の無い事。

■巨大な組織による一気通貫の利益追求システム
ところがこれが、デベロッパー発注工事となれば、全く違うのである。デベロッパーと施工業者は同列にいて、工事コストが上がることは絶対に許されない事態なのだ。

以前に日本中を騒がせた構造偽装問題。これはデベロッパーと構造設計事務所が結託して、工事費を抑える為にやった前代未聞の詐欺事件である。デベロッパーと設計事務所の間にはエンドユーザーである施主は不在。これはとても特殊なケースである。

普通に設計事務所が施主側に立って管理を行っていれば、杭の施工担当者が偽装をする必要は無く、杭が支持層に達していなよ!支持層に達するのにうん千万円追加になりましたって工事監督者に請求すれば済む話。そうすると工事監督者は、ボーリングデータが違っていたからカクカクシカジカ、クライアントに報告する事になる。

今回の問題は、それをできなくしている仕組みが何処かに隠れているのであろう。建築業界は専門職と有資格者が複数集まって一つのプロジェクトを創り上げていく作業である。

■専門性を有する組織の在り方!
有資格者は失敗を犯すと、資格者個人の責任が問われる事になる。組織自体に、個人を護ろうとする仕組みが無ければ、有資格者は自分を守るために理論武装する。しかしながら失敗は失敗なので終いには嘘で固めてしまうという最悪の事態になってしまう。

専門職を扱う組織には、人が犯す失敗を大きな学びの場として、一刻も早く公表できる体制が絶対に必要であり、同時に失敗を組織全体でフォローアップ出来る仕組の構築が必須である。そうでない組織は必ず滅びる!

これは、建築デザインでのISOを取得した際のマニュアル作成時に学ばせて貰った。専門職に携わる人は、自分を守る為、無意識に失敗を隠そうとする!そんな事例が大きな場面で頻繁に見られる世の中となって来た。

失敗を隠さず早い段階で公に出来る仕組み作りは、私がISO取得に取組んだ動機でもあった。
今ではISO事態はコストが掛かる為に放棄したが、その仕組みとマニュアルは今でも組織に活かされている。

■杭が支持層に到達しない原因!
さて、困るのは思わぬ所で工事費が追加になってしまった場合、工事監理者もクライアントも途方にくれてしまう。そこからとてもとてもシビアな工事監理が必要になるのである。

追加になった杭の長さの分、勿論、施工費と材料代は増えるかも知れない。そもそも支持層の深さ、パイルの長さを決定した根拠は何処にあったのだろう。

往々にしてその原因は、工事場所である現地のボーリングデータでは無くて、隣接した別の場所のデータだったり、近隣データを参考にした場合が殆どなのである。

その場合、構造設計者も工事監理者もクライアントに対し、杭に長さの変更が現場であり得る事を情報として伝えておく責任がある。これは絶対必要な事で、文書で残しておくべき重要事項である。

何れにせよ、今回の施工管理者によるデータ改ざんは、専門技術者による過失によるものとは考え難い。

今回のようにデータ改ざんが常習的に行われていたという事であれば、工事の受注から施工に至るまでの一連の流れが追加工事や変更を認めない大きな圧力の元に施工管理者が動かされていたのでは無いだろうか。こうなると施工管理者の問題では無く組織全体の問題となる。

政治力など実際の工事施工とは関係のないところで、何でもいいから早く終われ、適当に裁かせておけ、そんな風潮が組織自体にあったのなら、ベテラン社員だからこそ、そのように上手く処理をしていたのかも知れない!

■活力を失わせる法的縛り
しかしながらこう言った事件によって法的に縛りが掛かる。今回のように限られた巨大組織によるデベロッパーからゼネコンそして建築事務所に至る一気通貫の儲け主義建築工事の為に、一番苦しめられるのは、巨大組織とは縁も所縁も無く良心に沿い、正義の心で建築に携わっている施工管理者個人や小規模の設計事務所の所員だったりする。

大手デベロッパーも旭化成建材のような大手建材メーカーも、一般の建築に携わる者からすれば、日本を代表するような組織のとても恵まれ社会環境に居る特別な人達の事。

彼等のおかげで、組織に属しない正義感のある多くの専門技術者が苦しむことになる。
建築士に対して義務付けされた、丸一日を拘束されコストのかかる講習会の中身と言えば、夢のある未来創造の話は殆どなく資格者に対する懲戒処分厳格化の法改定の事ばかりが目立ってきた。
ものづくり日本と言われるこの国で、建築技術に夢を託す若者は益々少なくなって行く!
そんな疲弊した社会へ向わせる、この事件とその報道の在り方を憂う。


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2014.07.18 ショートコラム!札幌駅までタクシー乗車
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ホテルを朝7:30にチェックアウト。9:55分の博多直行便で搭乗手続きも有るからスタッフsくんと話し駅までタクシーを使う事にした。

何時もはホテル前にタクシーが待機しているのにまだ早いのか、今日はいない。
ちょっと歩くと表通りにタクシーが並んでいた。

その最前列にドアを開いた状態のタクシーがいたので、最前列まで歩きそのタクシーに乗込んだ。
「札幌駅までお願いします。」と云いながら座り込むと、タクシードライバーさんは髪の長い割と若い女性だった。
意外だとは思いながらも、スタッフsくんと帰ってからの構造設計変更依頼などの段取りを話していたら、女性ドライバーさんが「お仕事でしたか?」と気さくに聞いてきた。
「そうです!これから九州まで帰る所です!」と答えた。

ドライバーさん
「夕べは風が無くて寝苦しかったですね、札幌はクーラーがほぼ無いので。
何時もは窓開けていると涼しい風が入って来るけど、夕べは無風で風が入ってこなかったから!」と話し掛けて来た。

「いやいや、九州に比べれば快適ですよ!こちらでは、冬に窓開けたまま寝ようものなら、凍死してしまうって聞きましたが、でも夏は窓開けて寝る習慣なんですね。」

ドライバーさん
「そうですね、こちらはお盆過ぎぐらいから寒くなりますが、今の季節、夜は涼しい風が入り込んで快適なんです。」

sクンとの仕事の話はやめて運転手さんと話し込むことになる。

「北海道に来て、こちらの信号機は縦に並んでたり、路肩を表示する矢印が並んでいたり、4車線の一方通行道路があったり、今日も遭遇したけどネズミ捕りのお巡りさんが結構いたりするんですよね。こちらで運転すると驚きの連続です!」と投げかけると。

ドライバーさん
「夜間、道路走ると路肩を示す矢印が連続していて光っているのがとても綺麗なんです。」と答えてくれる。
へぇ〜夜は車で走ったこと無いので、感心する。

ドライバーさん
「北海道は田舎でしょ!」

「最初に札幌に来た時は高層ビルも沢山有るし大都会だと感心しましたが?」

ドライバーさん
「この辺り、札幌だけが人口多いけど、ちょっと外れると何も無いんですよ!」

「いやいや、九州も同じですが、何も無いのが案外宝だったりしますよ。
都会で俗っぽい生活していて、いざそこから離れると景色だとか物を見る感覚が研ぎ澄まされるというか、いろんな物の本質が観れるような気になります。
本当にそうなっているかはわからないけど、そんな贅沢な気持が味わえるような気がします!」
そんな話をしているとすぐに駅へと到着した。

ドライバーさん
「レシート切っておきますね!お疲れ様でした、気をつけてお帰りください!」

駅に到着するまでほんの10分程度。

最後まではっきりした口調で送ってくれた。朝から気持の良いドライバーさんに巡り合えた。今日は良い一日かもしれない。

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2014.07.16 ショートコラム:出張


夏の札幌は九州と同じで暑い!
今回で3度目の出張となる。
航空券を含む旅費は4月5月に比べると倍の値段。しかも人が多い。
前回出張の先月は、北海道でも30度超えの気温。
忘れもしない、その日、食中毒注意報が札幌で発せられていると朝のニュースで聴くも、他人事と全く無頓着でいた私は、ラーメン横丁でラーメンを食しその中のチャーシューを頂いた。そして見事に当たったのだ。

その夜ホテルで意識が遠くなる程、お腹の激痛に襲われた。
ここで私の人生は終わるのだろうかと言う思いで室内のトイレに3時間程籠り、意識の薄れるまま為す術も無く、大量の水分を下から吐き出してしまった。
一緒に毒も出て行ってくれたのか、意識が少しづつ回復し幸いにも難を逃れる事が出来た。

今回の出張はスタッフも同行してくれるので、ちょっと安心だ。
とは言ってもプロジェクトの今後の行方に大きく関わる重大な会議である。

とは言えこのところ、なんか何時も人生の正念場を迎えているような今日なので有る。

生きている充実感は有るものの、仕事が終り毎日クタクタになってベットに横になるのが23時前後、その瞬間、意思がなくなり気がつくと2時3時。
そこからお風呂に入ったり、歯を磨いたりブログをアップしたりして、再び寝るのが4時頃。
こんな生活がこのところの日常となっている。

飛行機の中でとりとめのない文を綴っていて、ふっと前を見ると座席のシートヘッドカバーがこちらを向いて語って来る。
満60歳以上はシニアメイトが使えて10000円から。前日予約可能と書いてある!
今月誕生日が来ると60になる。同世代アイドル郷ひろみと同じ歳。(−_−;)ショック!
まさかの老人仲間入りかぁ!
世間はそうかも知れないが、そりゃ無いでしょうと思ってしまう。
体力や疲労回復力も衰えたのは違いない。
経済的に助かるのも悪くは無い。
ただシニアと言う言葉が自分に馴染まないと拒否しているだけなのだ。

世間から見ると十分シニアなのかも知れないが、気持はまだ、世間知らずの青二才である。まだまだ学ぶ事が多過ぎて、焦りながら時間を惜しみながら生きている。

さあて重要会議に臨むぞ!人事を尽くしてあとは天命を待つしかない。
怖がっていてもしょうがない、どんなことがあっても冷静に受止め、不徳の事態に機敏に対応して行くしか無いので有る。
試練として有難く臨ませて頂こう!

さぁ、飛行機は札幌の地に近づいて来た!^^;

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2014.05.08 個人の責任と組織の責任
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写真は武雄法務局前の公園。写真とは関係ないのですが、私の当番だった今朝の朝礼スピーチ内容です。

先日ニュースで大手旅行代理店の30代職員が、修学旅行バスの手配を忘れ旅行のキャンセルを促すため、生徒を装いキャンセルしないと自殺すると学校へ手紙を送った事について話した。

昔ISOのマニュアル作成した際、責任ある立場で仕事に携わっている私達にとって最も必要なのは、失敗しない事より失敗した際のフォローアップシステム確立であると実感した事がある。

人はどんなに賢明に業務をしていても思わぬ失敗は付き物だ。何が起こるか解らない。仮に失敗した時に組織内で、その失敗について早期のうちに上司や同僚に話せない雰囲気の組織であれば、担当者はその失敗を隠蔽しようと躍起になる。しかし隠蔽が後になって明るみになれば、組織は消滅するほどの取り返しのつかない制裁を受けることになる。だから個々の失敗を早期に発見し組織全体でフォローアップする体制は組織には絶対必要である。失敗事例は組織業務改善の重要なツールなのである。

韓国の大型船沈没の事件も、乗船客を残し船長が真っ先に脱出したなど、普通では考えられない事。
最近の日本も韓国も同じで仕事に対する責任感が無さ過ぎる。終身雇用が無くなり、派遣されて一時しのぎで仕事をしようとする感覚なのかも知れない。

個人プレー感覚で仕事に取組むのは構わないが、仕事に対する責任の無さが大きな事件の切っ掛けになる。何れも個人の責任は重大であろうが、そういう風に仕向けた、会社や組織の責任が最も大きいのでは無いだろうか。

知人の見解。「普通、そんな大口の修学旅行契約だったら直属の係長や課長くらいへの手配報告決裁書類くらい回すだろう^^;担当者一人に任せっきりは考えられない!強いて言うなら、そいつの奇想天外な企画力と行動力は凄い。普通そんなこと考えないし、行動もしないだろう。そんな能力有るから大手旅行代理店に入れたんだね!」

この事件にはいろんな見解は有るものの、我々の仕事は失敗を恐れず良い結果を残すこと!
最後は組織が守るから、責任を果たすのが貴方がたの仕事である。みんなで支え合いながら困難は乗り切ろう!

今日のスピーチでした^^;

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2014.04.26 ミシュランガイド福岡佐賀版 考!


ミシュランガイドの福岡佐賀限定版が今年7月に出版される。

九州版でなく、長崎福岡でなく佐賀版なのだ。佐賀を知らない人たちは疑問に思うかもしれない。人口も少ない田舎佐賀になんでミシュランが調査に?と思うだろう。

答えは彼らが持つ情報にある。幕末、アメリカの使者ペリーは長崎へは入らず浦賀へ向った。長崎湾は佐賀藩により四郎島と伊王島に砲台が設置され、大型イージス艦に備えた軍備がなされていた。彼らはその情報を知っていたのだ。

佐賀にはかつて日本中が持っていた日本特有の原風景がまだ多く残っている。
また佐賀では、漢方薬で土壌改良した畑で作る糖度の高い有機野菜を京都に出荷している。それらは京野菜として消費されている。

呼子の烏賊や三瀬鶏、竹崎のカニそして佐賀牛は有名なところだ。
柿や苺、キュウイ、マンゴー、葡萄、梨などそこらじゅうでブランド農産物が作られているが、殆ど地元佐賀では消費されていないのが現実である。

ワインコンクールで世界一になった日本酒、富久千代酒造「鍋島」が作られているのも佐賀なのだ。
そして古伊万里酒造や有田の宮の松など受賞歴のある佐賀のお酒は手に入りにくくなってる。


今、佐賀のような田舎街では、都市部や外国で修行した優秀な料理人が故郷へ戻り自分の店を開き、結果レベルの高い隠れ家的飲食店が増えている。

4年前に市内でテナントビルに携わったとき、そのビルに入られたショットバーのバーテンダーさんは、東京銀座のお店と佐賀の店をしばらく掛け持ちされてた。

昔だったらこちらへ来ることを都落ちと言われ、都で成功出きなかった敗者とされていた。現在は違っている。ライフスタイルへのこだわりで良い仕事をするため田舎暮らしをするのである。
現在では田舎で商売することの方が都市部で商売するより難しい時代だ。彼らは都市部からお客さんを呼んでいる。わざわざ田舎へ行ってまでも食したい店にしているのである。

日本人が忘れてかけている日本の素晴らしさは、佐賀のような田舎でこそ味わえるかもしれない。そこに人材も集まってきている。その忘れかけている日本の良さを食文化を通じてフランス人が嗅ぎつけたのだろう。

理屈はわかってないかもしれないが、何れにせよ日本文化の本質を嗅ぎつける彼らの臭覚には脱帽である。
料理

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